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私は主を見ました

 
 
 
 

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「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『私は主を見ました。』と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」(ヨハネ20章1節、18節)

 
 
 

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ヘンリー・ナウエンの著作の中に、次のような記述がある。
「・・・自分でも驚くのですが、マリアの祈りだけが私に安らぎを与えてくれます。・・・マリアへの受胎告知を黙想すると、心からの安らぎと喜びが生じます。単純にマリアと共に留まり、『私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように』と言う彼女の言葉に耳を傾けると私はすっかり落ち着いて平安になれます。その言葉を考えたり、理解したりしようとするのでなく、ただ単純にその言葉の語りかけることに耳を傾けるのです。・・・」

 
 
 

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この彼のケースとは異なるかも知れないが、祈ることに困難を感じる時、黙想に集中できない時、思い悩む時、そこに留まると落ち着いてくる御言葉・・・私の場合は何だろうと考えてみた。好きな御言葉はいくつもある。自分の信仰の原点となるような御言葉もあるし、これまでの歩みの中で特別に大切にしている御言葉もある。

 
 
 

そんな中で浮かび上がってきたのは、復活の朝のマグダラのマリアの姿だった。どんな時にでも、この時の彼女を眺めていると心に不思議な懐かしさと安らぎ、喜びを感じる。マグダラのマリアのイエス・キリストへの思いに自分を委ねることができ、私ががんばらなくても彼女が私をイエスの方へと導いてくれる。そして、イエスへの道を示してくれ、イエスの後にどのように従っていけばよいのかを教えてくれるのだ。

 
 
 

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朝早くまだ暗いうちに、私はマグダラのマリアと共に復活のイエスに会いに行く。そしてそこで起こったこと、見たこと、聞いたことを人々に伝えたい。神様の素晴らしさとイエスによる救いの喜びを。主は本当に復活して私たちと共にいてくださることを。「私は主を見ました」と。

 
 
 

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その時、父なる神様を賛美しつつ、私は居心地の良い自分の居場所にすっぽりと入っている感じを味わうことができる。人は皆一人ひとり、それぞれの使命に合った御言葉が与えられているのではないだろうか。その御言葉に留まる時、神様からの思いを託されている本来の自分に立ち戻ることができるのかもしれない。

 
 
 
 
 

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