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主の受難

 
 
 
 

 
 
 
 
 
  

彼が担ったのは わたしたちの病

彼が負ったのは

わたしたちの痛みであったのに

わたしたちは思っていた。

神の手にかかり、打たれたから

彼は苦しんでいるのだ、と。

 
 

彼が刺し貫かれたのは

わたしたちの背きのためであり

彼が打ち砕かれたのは

わたしたちの咎のためであった。

 
 

彼の受けた懲らしめによって

わたしたちに平和が与えられ

彼の受けた傷によって

わたしたちはいやされた。

 
 

わたしたちは羊の群れ

道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。

そのわたしたちの罪をすべて

主は彼に追わせられた。

 
 

わたしの僕は

多くの人が正しい者とされるために

彼らの罪を自ら負った。

彼が自らをなげうち、死んで

罪びとのひとりに数えられたからだ。

 
 

多くの人の過ちを担い

背いた者のために

執り成しをしたのは

この人であった。

(イザヤ53・4-6,11-12)

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

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