新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
総会の指針を受け、また総長様のクリスマスメッセージに耳を傾けながら、あらためて今日、神様が私に望まれているものは何かを思い巡らしていることと思います。1月は社会正義委員会メンバーの中村から発信することになっておりましたので、お届け致します。
【年末年始の新聞記事から見えてくるもの】
昨年の待降節直前に出されたカリタスジャッパンの小冊子の「自死」ということばが深く残りました。特に教育現場に身を置く私には他人事ではありません。若者たちの心の闇を思わずにはいられません。一見明るさの中に潜む深い孤独、死に追い込まれていく現実がそこにあります。悲しいのは日ごろの雑事に追われそれに気づいていないということです。
年末の朝日新聞一面「孤族の国」のことばに、また釘付けになりました。慣れないことばです。読み進むうちに胸が締め付けられ、ことばも出ません。何と悲しいことでしょう。こんなにも狭く小さな日本、しかも文明国のひとつに数えられる日本の中で、家族からも友人からも見放され、一人孤独のうちに死を迎える人、その数も半端ではありません。この特集記事は氷山の一角です。何がこのような社会現象に拍車をかけているのでしょう。
東京近郊で働く司祭から聞いた話。「校長先生、高校中退者を出さないでください。高校中退者ほど格差社会の犠牲者になるものはないですよ。中卒の方がまだいいです。高校中退はダメです。正規の職業に就くのは皆無です。そこでその人の人生が決まってしまうんですよ。アルバイト、派遣、非正規、そこから抜け出せない社会の仕組みがあって、借金がかさむ。お先真っ暗ですね。あとは想像できますね。そういう若者がたくさんたくさんいます。どうか中退者を出さないでください。」と念を押されました。学校も中退者を出したくありません。手を尽くして指導したつもりでも決断を迫られるときがあります。ジレンマです。
時々中退した生徒も職員室に顔を出します。「よく来たね」といって迎えます。
学校に来ることを思いついた生徒はまだいいです。来ない生徒は今頃どうしているか気になります。年度末になると卒業を祝う喜びと共に、今日、みんなと一緒に卒業するはずの生徒も、神様がウルスラ学院に送ってきた生徒であることを心に留めながら、絆が繋がっていることを祈ります。幸せでいてください。
総会は、三位一体の愛に生かされ、イエスの態度、行いに倣い、優しさ、コンパッション、許し、和解、癒しの橋をかけるように招かれました。“どのように”それが私の課題です。皆様は“どのように”生きていますか。また生きていこうとしておられますか。姉妹同士の分かち合いも、互いの「架け橋」になるかも知れません。
【フィリピン体験学習報告】
昨年も7月27日から8月6日まで6名の高校生と教員2名でフィリピン体験学習に行ってきました。今回で6回目になります。
全校生徒から協力していただいたタオル500枚と歯ブラシ500本を5つのダンボールに積め、昨年のクリスマス献金27万円、さらに塩町教会の皆さんから預かった寄付金を携え出かけました。飛行機のたびは順調でしたが、ダバオ空港でダンボール箱の関税の問題で足止めされたのは始めての体験でした。何とか切り抜け、無事に入国、無原罪聖母会の黙想の家に着いたときはホットしました。毎年のことながら無原罪聖母会のシスター方、聖ウルスラ会の姉妹方の美しい笑顔、寛大な心づかいと親切が私たちを歓迎してくれる時、不安は一蹴されます。今年も山の子供たちと交流し、公立の小学校に体重計を、教会に修理費用を寄付し、また学校へ行けない子供たちの奨学金を届けることができました。今年は、帰りにダバオの新しい修道院に宿泊させていただき、快適な休息を取ることができたことはほんとうに感謝です。
この体験が生徒たちにとって大きな生涯学習になっていることを思えば、日本とフィリピンの子供たちの「架け橋」はずーと続けて生きたいプロジェクトです。