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東日本大震災を体験して

 その時わたしは!

       
                          
丸山 桂子(仙台アソシエ) 

「美しい自然と活気ある産業との融合」は、史都、多賀城市のキャッチフレーズです。東南に向かって平野が開け仙台港に面して緑豊かな工場地帯を形成しています。

多賀城碑

 3月11日、突然この町を地震と津波が襲ってきました。何度も続く激しい揺れに食器は食器戸棚のガラス戸を突き破り、部屋中にガラスの破片が飛び散ります。スイッチが入ったままのテレビが倒れてきました。我が家はマンションの15階なのですが部屋全体が揺れる状態で、揺れ続けていました。階段を転げ落ちる様に駆け下り外に出ると、猛吹雪になっていました。

 夜が更けて津波情報が解除になり、疲れきって部屋に戻ると、眼下に石油コンビナートが真っ暗闇の中で爆発炎上していたのです。その時おぼろげながら、単なる地震や津波ではないことを感じました。

 4日後娘夫婦が迎えに来てくれて、私は山形に避難することができました。

 「東日本大震災」と名づけられた未曾有の災害の前に言葉を失います。しかし、人々は以前にも増して、心優しく、力強さを感じています。

 今日も昇る朝日に感謝の祈りを捧げたいと強く思います。

                          

  仲川 久代(八木アソシエ)

 3月11日の出来事から4か月がたちましたが、大地震が東北を直撃したとのニュースに八木教会はパニックに陥りました。

 被災地仙台は、私たちの教会に三十数年にわたり20名を越える素晴らしいシスターたちを派遣し続けてくださった聖ウルスラ修道院が在るところだったからです。幸いにもシスター全員がご無事であったとのことで皆ほっと安堵しました。


 先日久しぶりにオーストラリアから来日されて、ごミサを捧げてくださったパウロ・グリン師はホミリアで「震災時の日本人から学ぶこと」との自分の国の新聞記事を紹介されました。それは「平常心」、叫ばず、取り乱さず,哀しみを昇華する心の強さ、「品格、秩序」、食料を得るために整然と並び、状況を理解し、独り占めや略奪はなかった。「礼節、思いやり」、避難所では子どもは年長者を敬い、老人は若者から元気をもらい、昔からの知恵を授けた。


「犠牲」原発の50人の作業員たちの不眠不休の働きは,誰が何を持って報いるのだろうか。「報道」記事は真摯で、沈着なレポートが続いた.等・・・。


 神父様はこの記事を見て思わず涙ぐまれたそうです。そして「日本は世界に見習うべき模範を示しました。」と結ばれました。


 平成の世を享受していた日本列島に今、生活の見直しが促されています。


暗くなりがちな私たちに本日「なでしこジャパン」の快挙が飛び込んできました。私たち八木アソシエもアンジェラの娘として、正しい選択を日々神に聴きながら,御国の広がりのために生かされたいと願っています。

     
瀬戸 のぶo.s.u.  

私は外出先から修道院に戻る途中、泉中央地下鉄前の広場を歩いていた。突然唸る様な不気味な地鳴り、すぐ来た強い地震、未だかつて経験したことのない強い揺れに、立っていることができず、石畳に平伏した。何度も起こる余震に人々は恐怖の声を上げている。もう最後か、心底から痛悔の祈りが湧き出て何度も繰り返し祈った。主よ、憐れみたまえ・・

 すべての交通網は不能、非常事態発生で歩くよりほかになく、帰院の思い矢の如しで、国道4号線の人波に入り一歩一歩と歩いた。皆怯えながらも声を掛け合い励まし合い整然と足早に歩く人々に、日本人の誇りを感じた。

  道は至る所亀裂が入り、家の壁などが崩れている。無情にも雪が降り出してきた。痛む膝と両足が重くなってきた。もう2時間以上も歩き続けた。標識に「北根」と出ている。バスだと20分位の所なのにと、がっくりきた。前途道遠し。立ち往生。主よ憐れみたまえ、と何度も祈った。突然(あの車に近づけ)との内心の声、眼前に止まっている車に近かづき乗車を願った。彼はすぐ助手席の扉を開けてくださった。温顔と暖かい車内に救いを実感した。同方面の急患センターに出勤途中と聞き、神の導きに感激し涙が溢れた。

 道は車で大渋滞、暗闇にただ一つ灯る市立病院前で下車、避難人で一杯の待合室に席を見つけた。時は夜8時、隣の人も親切だった。やっと修道院に電話がつながりSr.太田の声を耳にした時は正に地獄に仏で、安否を確認した時は声が詰まった。



恐怖の中、相互扶助の避難の一夜の私の3.11は神の計らいによる私の再生への恵みと心に銘記している。

 3・11フィリピンのマチ修道院では

     
オロール・ジャンo.s.u.



 穏やかな3月11日の午後、修道院で働いている男性たちが、ラジオで日本に大きな地震があったことを聞いたと報告してくれた。私たちはすぐインターネットでその位置を調べたところ、地震の中心は仙台であり、その後津波がすべてを破壊していることを知り大きなショックを受けた。

 私たちの最初の反応は主に祈り、その地域に住む人々を主が守ってくださるよう祈るばかりであった。


 夕食後、テレビのニュースで見たのは、まさに黙示録のイメージであった。建物は強い風によって木の葉のように揺れ、屋根は飛ばされ、天井は落ち人々は流されていた。お店の品物はすべて棚から落ち、書類はオフィスの床に飛び散っていた。車や家がすべて残骸と一緒に海に流されている。


福島の原子力発電所のニュースは更にひどかった。この大災害の前でどうしようもない無力感に陥っている人々の表情を見た。


 次の朝私たちは仙台の姉妹たちと連絡を取ろうとしたができなかった。管区顧問会のため仙台にいるSrベリアの安否もわからなかった。それで八戸に電話したところ、ついに塩町コミノテと連絡が取れ、Sr.片岡が涙ながらに仙台の姉妹たちは全員無事であることを知らせてくれた。この知らせを聞き私たちは神様が守ってくださったことを心から感謝した。


 私たちは毎晩日本の状況についてテレビで知ることができた。CNNチャンネルは異なった国からのレポーターによって正確なニュースを伝えていた。


 特にオーストラリアのレポーターの報告は私たちの心を打った。

 彼らは困難な状況にある被災者にインタビューしていたが、被災した人たちの表情は力強く、希望に満ちていたように見えた。



 八戸田面木のSr.ジャニンがこの災害についてのニュースを忠実にメールで知らせてくれた。ラシャペル神父様が亡くなったことを知った時は本当に悲しかった。又、Sr.ジャニンとテレビのニュースで被災者たちがお互いに一つの心で分かちあい、助け合っていることを知った。それは初代教会の信徒たちのようであった。なんと美しい姿であろうか。


 神様は地震と津波によってもたらされた大混乱を通して新しい天と地を創造していると思わざるを得ないように思う。
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